†鑑査委員制度†
俺はしばらくその白いグランドピアノを不思議な気持ちで眺めていた。
まさかインテリアとして置いてあるわけではないだろうし、かといってあのピアノは普段誰かに弾かれることはあるのだろうか?
ピアノは弾かないと音がどんどんぼけてくる。弾かれないピアノほど哀れなものはない。と、場違いに同情する気持ちになった。
「ねぇーお母さん」
1つ間隔を開けて座っていた子どもが母親に何事かを囁く。
「あら、かのんちゃん弾いてきたら」
「えぇー」
恥ずかしいよ。と小学生前後に思われる女の子は頬を赤く染めていた。
どうやらあの白いピアノの話しをしているらしい。なおもその親子の会話は続く。
「あのピアノはね、弾けば弾くほどよくなるピアノなのよ。あのピアノも病気なの」
「病気?」
女の子は悲しそうな、心配する声音をあげる。
「そう、だからいっぱい弾いて治してあげなくちゃね」
そう母親に言われ、力強く何度も頷く気配があった。
少しして意を決したような硬い表情のまま、ピアノの方へ歩む女の子と傍らに見守るように立つ母親を視界の先に捉えた。
母親は近くを通った看護士に何事かを言ったあと、軽くお辞儀をし心配気な顔で見上げていた娘に笑顔をほころばせていた。
それを確認した女の子は嬉しそうに微笑み、ピアノへと向き合う。
ほどなくして高い音程のキラキラ星が聞こえてきた。
少したどたどしいが気持ちが乗った優しい音色だ。
俺は音を聴きながら、このピアノが普段たくさんの弾き手によってよく弾き込まれていることを知る。
たぶんこの女の子のように、患者たちが戯れに弾くのだろう。音がよく伸びている。
女の子が弾き終えると、周りでささやかな拍手が起こった。
特にそこに居合わせたご老人たちは孫を愛おしむような眼差しで手を叩いていた。この場全体が穏やかな空気に包まれる。
俺も控えめに賛美を送る。女の子は照れくさそうに微笑むと母親と手を繋ぎこの場を後にした。