【長編】ホタルの住む森
「『陽歌ちゃんに桜を見せてあげて』って」
「桜を…? ―っ!まさか…っ」
「あの時彼女はもう限界を感じていたんだと思うわ。
ご主人と子どもと三人で生きること。
それがささやかな願いだったのに…彼女は生まれた子を抱くことなく逝ってしまった。
最後までご主人や家族…そして陽歌ちゃんの事を思いながらね」
「とても優しい人だったわ」と言った幸江の瞳は潤んでいた。
「……教えて…。幸江さん、彼女の名前を…教えてください。
もしかして私に角膜を提供したのは…?」
幸江は黙って目を伏せた。
看護師である幸江には角膜提供者の詳細を明かすことは出来ないのだろう。
だが彼女の表情に陽歌は自分の考えを確信した。
「あの妊婦さんの名前は高端 茜さんというの。
ご家族の事は私からは教えられないわ。ごめんなさい」
「高…端?」
パズルのピースが音を立てて埋まっていく感覚があった。
「もしかして…ご主人は丘の上で診療所をしているのでは…」
陽歌の問いに幸江は明らかにハッとして顔色を変えた。
最後のピースがパチンと収まる。
世界から音が消え晃の顔が浮かんだ…。