記憶の扉
 
父はわたしの手のひらを上にすると優しく撫でた。

やけに父の手が温かい。

「ああ、そうさせてもらうよ。・・それでまぁ、あれだ」

「・・・」

「悦子は小さい頃に引っ越ししたのを覚えてるか」



小さい頃に引っ越し?

ただでさえ小さい頃の記憶なんてないのに、そんなことを覚えているはずがない。


(あぁ、なんだか喉が渇くぅ)

サイドテーブルに置かれたペットボトルに目がいく。


「悦子、お母さんのことは覚えてるか」

(海洋深層水か、ちょっと苦手なんだけどな)


「亡くなったお母さんのことは覚えてるか」



水に伸ばそうとした手が小刻みに震えて、止まった。



胸が締め付けられ、身体中がこわばる。

「悦子、・・おい、大丈夫か」

父が慌てて声を詰まらせる。


「悦ちゃん・・、悦ちゃん・・」


目の前にいる裕樹の声がどんどん遠くなる。

 

< 12 / 20 >

この作品をシェア

pagetop