記憶の扉
父はわたしの手のひらを上にすると優しく撫でた。
やけに父の手が温かい。
「ああ、そうさせてもらうよ。・・それでまぁ、あれだ」
「・・・」
「悦子は小さい頃に引っ越ししたのを覚えてるか」
小さい頃に引っ越し?
ただでさえ小さい頃の記憶なんてないのに、そんなことを覚えているはずがない。
(あぁ、なんだか喉が渇くぅ)
サイドテーブルに置かれたペットボトルに目がいく。
「悦子、お母さんのことは覚えてるか」
(海洋深層水か、ちょっと苦手なんだけどな)
「亡くなったお母さんのことは覚えてるか」
水に伸ばそうとした手が小刻みに震えて、止まった。
胸が締め付けられ、身体中がこわばる。
「悦子、・・おい、大丈夫か」
父が慌てて声を詰まらせる。
「悦ちゃん・・、悦ちゃん・・」
目の前にいる裕樹の声がどんどん遠くなる。