例えば、それがキオクだったら…
       *


「………やっぱ…普通そうだよな」

何も、起こらなかった。

「……寒い」

珪は噴水に背を向けると、ゆっくりと歩き出した。

吐く息は、闇に白く浮かび、静かに溶けた。

「………なんでだろうな」

空を見上げ、そっと呟く。

何故、俺は知っていたのだろうか…。

聞いたことも無ければ、見たことも。行ったことなんてある訳が無い。

なのに、分かっていたんだ。

あの話の世界は…“エンプティ”

「……俺は…精神異常者なのか…?」

知るはずの無いことを知っている自分が、少しだけ怖いと思った。

もやもやした思いでいっぱいだった。

曇天の空は、まるで珪の心と連動してるかのように見える。

「…降ってきそうだ…」

雷とまでは行かないが、独特の雨の臭いがした。

真新しい土の臭い。錆びた水の臭い…。

冬なのに、梅雨時のように湿った空気に変わってくる。

(ポツ…ポツ、ポツ……ザー…――)

「……丁度いい…」

空から降る雨は、辺りの暗さが手伝っているせいか、黒く見えた。

珪は、しばらく空を見上げたまま、雨に濡れていた。

目を閉じて、静かに雨の音を聴くのは、不思議と心地よかった。

「…ねぇ、そこの人間?何してんの?」

不意に、後ろから誰かに声をかけられた。

「……?」

「そ、君。君しか居ないでしょ~、こんな時間でこんな天気でこんな場所に」

振り返ると、ソイツは見たことの無い女だった。

腰まである長い髪を雨に濡らして、不思議な瞳でこっちを見つめている。

「………誰だ」

当然の質問をぶつけると、女は薄く笑って、顔にかかった髪をすくった。

「お名前…聞くときは自分から……って、言うんでしょ?“こっち”では」


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