ピアノ
「ほんと、ごめん。急に付き合いの食事が入って」
真木先生はバタバタと音楽室の戸締まりをしながら言った。
「昨日の夜急に言われてさ、断れなかったんだ。」
私はなにも言うことができない。
そうなんだ、とも
なんで、とも。
言葉が口から出てこない。
脳裏には、大野先生の顔が浮かぶ。
先生、もしかして、大野先生と…
「悪いが、もうすぐ出なくちゃいけない。明日はきっと大丈夫だから」
ワイシャツにネクタイをしめたいつもと違う先生は、なんだか別人みたいで、私はピアノの側にたって呆然としていた。
「ピアノ、弾いてくか?鍵ならちゃんと返しといてくれればいいから」
「弾けるわけないじゃん。」
私はぽつりと呟いた。
「え?」
「リズムが違うって言ったの、先生だよ。それを直さないと弾けない。」
私の声は、平然としているけど、どこかに涙が混じっているような声だった。
涙が、先生にバレてなかったらいいと思う。
「………そうだな、ごめん。じゃあ時間ないから、出るぞ」
私が先生の横を通りすぎると同時に先生も音楽室のドアを抜けた。
そしてガチャガチャ鍵を閉めたあと、じゃあな、と一言だけ残して、せわしく階段を降りて行った。
私はそのまま廊下に座り込んで、見ていた。
じっと、夕日が沈むのを。