小悪魔は愛を食べる
* * *



嫌いだった。心底嫌いだった。けれど今、本当に嫌いなのかと問われたら、嫌いと言える自信は皆無だった。

絢人をダシに、音楽室に向かう途中、華原芽衣は笑っていた。楽しそうに、笑っていた。何も知らない笑顔で、笑っていた。

ひどい事をした自覚はある。絢人が現れるはずの無い音楽室で、華原芽衣がどんな目に遭うのかと思うと、手が腕が、足が震えて、立っているのも困難だった。

今戻れば、間に合うだろうか。
ふいに思うのに、体は一歩も踏み出してくれなかった。

職員室。残っている教師に言って、止めさせよう。どうして知ってるのかと訊かれて、共犯だという事実がバレても仕方ない。自分の責任だ。人を貶めようとした、自分の罪。罰を受けるのは当然だ。

ひとつ、深呼吸をしてドアに手をかけた。開けようと力を込める、その瞬間、すいと簡単にドアがあいて初音の体がつんのめった。

「あ」

初音が言葉を失った。目の前に、絢人が立っていたのだ。職員室のプレートを確認し、また絢人に向き直る。絢人はどこか倦怠な表情で首に手を当てコキっと骨を鳴らした。

「なに。幽霊でもみたような顔して」

職員室から廊下に出た絢人に合わせて初音が後退った。僅かに伏せられた絢人の目が、初音の罪悪感を見透かすように細められる。

途端に、初音の目から大粒の涙がぼろぼろと溢れ始めた。それは、初音の強がりが崩れた瞬間だった。

絢人が目を瞬かせる。

「あ、絢人…私、私ね」

「うん。ちゃんと聞くから、落ち着いて」

背中を擦られて、初音が絢人の制服の胸元を掴んだ。宥められている場合じゃないのだ。

「私、華原芽衣…っひぅっく…音楽、し…室…っ」

「華原がどうしたの?」

「お、音楽室に……連れて行った、の。早く、助けに行かなきゃ…」

しゃくり上げてる時間が勿体ないのに。どうして体がこんなにも思うようにならないのか。憤りが更に涙を流させた。

絢人の表情が強張る。

事情をなんとなく察したのだろう。

しゃくり上げて泣いている初音の肩を叩き、わかったと絢人が呟いた。

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