小悪魔は愛を食べる
足が歪んだ視界に入ってきた。ナイキの限定モデル。ナイキ好きなのかな。と、現実逃避みたいに頭が回らない。
なにをどうすればいいのか、わからない。
『大丈夫?もしかしてどこかぶつけた?立てる?』
大丈夫じゃないよ。貴方の元カノが肩にぶつかって行ったよ。涙で前が見えなくて、貴方に泣き顔を見せたくなくて、立てないよ。
顔を上げる気配の無い初音に男は困ったようにしゃがみ込んでファイルを拾ってくれた。優しく手渡されて、下手をしたら声を上げて泣きそうだ。そんなの格好悪い。絶対嫌だ。
助けて。誰か、誰でもいいから、ねえ。助けてよ。
『初音、どうしたの?生理痛そんなに酷い?』
振ってきた声に、初音も男も思わず見上げた。
ポケットに手を突っ込んでどこかからかうように、倉澤絢人が笑っていた。
頭が良くて、真面目で、模範生だと評判で、教頭のお気に入りの倉澤絢人。クラスが同じだけの他人だと思っていたのに。なのに。
どこから見てた?この男はどこまで知ってる?
心臓がどくどくと物凄い勢いで脈打って、苦しい。辛い。
余計に動けなくなった初音に絢人は軽薄に哂って、『女の子は大変だね』と頭を撫でた。大きな手が意外に心地良くて、安心する。
『瀬川、だっけ?初音は俺がなんとかするからもう行っていいよ。悪かったね、迷惑かけて』
『や、別に迷惑じゃねーけど…それじゃ、お大事に。里中さん』
ファイルを絢人に手渡して、男は立ち去った。静寂が支配する放課後の廊下に、初音の心臓の音だけが煩い。
胸の奥がもやもやする。むかむかする。やるせない。やりきれない。
誰でもいいから、誰かを思い切り傷つけてやりたい。
ただただ暴力的な衝動にかられて、さっきまで男がしゃがんでいた場所に座った絢人の胸を思い切り叩いた。
ドンッ。
重く、でもどこか小気味のいい音が響く。
ドンッ。
もう一度叩いても、絢人は何も言わなかった。
強く握っていた拳を開いて、自分の顔を覆う。両手で覆う。
醜い。汚い。こんなの私じゃない。私はこんなんじゃない。
がちがちと歯の根が噛合わない程の震えが体を襲う。
こわい。こんなの、しらない。こんなの、どうやって止めたらいいの。