小悪魔は愛を食べる
「傘、持ってきて無いんだよね」
空間を踏み躙るように足音を立てて下りてくる絢人に、芽衣は体を小さくして構えた。
すぐ後ろに立たれて、背筋が震えるような感覚に襲われる。
「今日はひとり?いっつも誰かといるよね。どうしたの?」
「……」
芽衣は何も答えない。あからさまに無視をしている芽衣に、ふっと絢人が笑った。
「もう六時になるけど、まだ帰らないの?」
「……」
「華原?」
「……話し掛けるなって、言った」
「え?」
「前、二度と話しかけるなって言った」
繰り返した芽衣の言葉を反芻して、絢人は「ああ」とたった今思い出したように納得してみせた。
「約束守ってくれてたんだ。馬鹿みたいに素直だね。けど、今は俺から話しかけたんだから、気にしなくていいよ。それで、まだ帰らないの?」
「終わるの、待ってるから」
「終わる?なにが終わるの?」
「……言いたくない」
「ふうん」
ぷいと目を逸らした芽衣に、何か思い当たることがあったらしい絢人が意味深に教室の方へ歩き出す。
慌てて芽衣が絢人の腕を掴んで引き止めた。
「なに?」
「だ、だめ…今行っちゃ、だめ」
「なんで?」
「……だ、め…なの。とにかく、今はだめなの」
駄目と必死に縋る芽衣の手を指から順に外し、すたすたと絢人が進んでいく。
マイペースを崩さない絢人に涙ぐんで、また腕を引っ張る。
「だめなの…行かないで」
「やだ」
無表情で手を振り払う。すると、それが引鉄になったように、芽衣の指先がかたかたと小さく震える。
しかし絢人は、指先を振り払われた形のまま震わせて微動だにしなくなった芽衣を一瞥しただけで、そのまま教室に向かって歩いていった。