小悪魔は愛を食べる
* * *


夕方の六時前。
特別教室の集中している研究棟から、誰もいないはずの教室に人影が見えた。

放っておいてもいいのだが、もしこれで何かあったらとばっちりは少なからず来るだろうと考えると、多少面倒でも足を運ばずにはいられない。

仕方なく階段を下っていると、不意に聞いた憶えのある声がした。

「はやく雨、降ればいいのに」

雨か。言われてみれば今にも降り出そうではあるなと思い、「それは困る」と素直に言っただけなのだが、言われた方は驚いたようでただでも大きい目を零れ落ちそうなくらい開いて凝視していた。

華原芽衣。
聞き耳など立てずとも嫌でも耳に入ってくる噂で名前だけは知っている。

人の男をとるだの、わがまま過ぎるだの、顔が可愛いからって何でも許されると思っているだの、僻みにしか聞こえないものばかりだが、ああ、確かにこれなら言われても仕方ないなと思ってしまう程に、可愛らしい。

その少女が必死に教室には行くなと引き止めてくる。

意地悪でもないが、反発心がないとは言い切れない心境で、絢人は芽衣の手を振り払った。

なんだか胸のあたりがもやもやする。例えるなら丁度、今の天気のような心境だ。

じきに雨が降るだろう窓の外を見遣って、足早に人影が見えた教室の前へ急いだ。

B組の教室の前で絢人は足を止める。

開けようと扉にかけられた手が一瞬躊躇し、下ろされた。

女の話し声がするのだ。


「ねえこれ雑誌で特集組んでた新作のマスカラじゃん?しかも新品だし」

「うっそ!だって人気あり過ぎてどこの店も在庫切れなのに」

「さっすが華原。いいもん持ってんね。ついでに金ももらっとくか」

「いーいじゃん!あ、それで飯食いにいこうよ」

「さんせー!そんじゃ、あいつ帰ってくる前に逃げるか」

「うん、そうしよ…」

女の声は言い終わる前で途切れた。

絢人が教室の扉を遠慮なくガラリと開けたからだ。

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