小悪魔は愛を食べる
「それより、もう三十分も経っているんですが、まだ書けないんですか?」
「だからまだ書けてませんて。しかもそんなすぐに書けるなら最初っからここにいないっしょ」
「……そ、そうですか。では、とりあえず進学か就職かだけも書いてください。後で変えてもいいですし。ね?」
「それなら、まぁ…『進、学』で。よし。もう帰ってもいーッスか?」
「え、うそ!待ってよ壱弥。一人にしないでぇ」
音を立てて椅子から腰を上げた壱弥の腕を七恵が縋るように引っ張った。
小動物を思わせる七恵のくりくりした目が必死に壱弥を引きとめようと潤んでいる。
こうなってしまうと、最早壱弥には置いて帰るなどという酷い真似は出来そうになかった。
「あー…んじゃ、芽衣と真鍋が戻るまで、な?」
「やったぁ」
両手をぱんと眼前でくっつけて七恵が喜ぶ。
壱弥は一度上げた腰を下ろして再び椅子に座った。高校生男子の標準体重を受けて椅子がキィと鳴く。それが耳障りに感じ、壱弥は足を組んだ。
「七恵もさぁ、てきとーに進学とか書いておけば?」
「うーん。まぁ、別にこれで決定ってわけじゃないしね。うん。そうだよね。ならあたしも進学にしておこっと。よっしゃ。はい、春日先生」
満面の笑みで春日に用紙を差し出す七恵。
横では壱弥がそんな七恵をうつろに視界に含めながら窓の向こう側を気にしていた。
「降ればいいのに」
ぼそっと零れた低音に七恵が「え?」と勢い良く壱弥に顔を向ける。
一瞬、苦味を帯びた曖昧な笑みが浮かんで、けれど七恵が瞬きをした合間に壱弥の表情はいつも通りの柔和な笑顔に戻っていた。
あきらかにおかしい。と七恵が柳眉を下げた。