小悪魔は愛を食べる
「そっか……なんか、すごく時間の進みが遅い気がするね」
「うん」
壱弥が肯定した。芽衣がくすりと笑って、壱弥の手を握った。
「イチはさ、わたしがこのままどっか違う所に行こうって言ったら、たぶん言う通りにしてくれるんだろうね」
「うん」
「けど、言わないから安心して。大丈夫だよ。もう、大丈夫。イチがいてくれるから、寂しくないし。だから、大丈夫」
「うん」
芽衣の繰り返す『大丈夫』が、壱弥ではなく芽衣自身へ宛てた言葉なのは百も承知だ。
だからこそ壱弥は、力なく握られた芽衣の手を強く握り返した。
ガタン、ゴトン。
規則的なようで不規則。安定しているようで不安定な揺れに、壱弥は小さな少女を思い出す。
幼い頃の芽衣。
誰とも口をきかず、膝を抱えて泣いていた。
手を差し伸べると、大きな瞳が涙で溶け落ちるんじゃないかと思うくらいに泣き濡れて、ウサギみたいに真っ赤だったのを今でも思い出す。
芽衣が拒絶されたのを一番最初に目の当たりにしたのはその頃だ。
振り払われた手が、行き場を失って胸元で強く握られる。泣くまいと気丈に唇を噛み締めた健気な少女。
残像が、鮮やかに甦る。
傍観者である壱弥ですら畏怖する過去なのだ。それを毎夜自分の事として夢に見ているだろう芽衣が、未だに笑ってくれるのが辛かった。
苦しい、助けて。
そう、縋ってくれればいくらでも手を差し伸べるのに。抱き締めて、気の済むまで好きだ愛してると囁いてやるのに。
慰めすら、届かない。
揺れる電車の中、愛しい者の手を握ってやるしか出来ない壱弥は、自らの無力さをひたすらに呪った。
俺は無力で、それはきっとどうしようもない罪だ。と。