小悪魔は愛を食べる
潜めた声で問いかけると、ベッドを背にするように畳に座って本を読んでいた壱弥が顔を上げた。
「なに読んでるの?」
「父さんの本」
「あんた華道なんて興味あった?」
「あるよ。それなりには」
「ふうん。まあ、いいわ。で、どうする?そろそろ帰る?」
紗江子が口を閉じると同時、壱弥の手の中の本もぱたんと閉じた。
立ち上がり、すやすや薄い寝息を立てている芽衣から毛布を剥がして、ベッドに片足をかける。
「芽衣、帰るよ」
ぺちぺちと頬を軽く叩かれる感覚に、芽衣が寝惚けたまま手を伸ばした。
それが首に回されるように体を深く折ってやり、芽衣が「イチ?」と掠れた声で呟くのを聞いて、壱弥は細い体を横抱きにした。所謂お姫さま抱っこ。
「まだ寝てていいから」
宥められるまま、再び芽衣が寝息を立て始める。寝入ったのを確認して、壱弥が紗江子に向き直った。
「俺が車まで連れて行くから、母さんは荷物持ってきて」
「オッケー。わかったわ。ああ、そうだこれ。車のカギ」
芽衣を抱いているために不自由な壱弥の右手にキーを握らせ、紗江子が二人と入れ替わりに真紘の部屋に足を踏み入れる。
壱弥が座っていた近くにまとめて置かれた荷物を持って、追うように部屋を出ると、真紘が立っていた。
「もう帰るんだ?」
にこやかだが寂しさを湛えた微笑に、紗江子は申し訳無さそうな表情で頷いた。
真紘の手が紗江子の頭を撫でる。
「母親がそんな顔していたら子供が心配するだろう。僕なら大丈夫。週末には帰るから、その時は美味しいご飯作ってくれる?」
優しい声で諭され、紗江子が真紘を見上げた。
そして困ったような嬉しいようなどこか複雑で曖昧な笑みを浮かべて云った。
「親子って、こんなに似るものだったかしら。時々ね、貴方と壱弥が被って見えるの……なんだか複雑だわ」
心情を吐露する紗江子の瞳は、それでもどこか幸せそうで、真紘はまた紗江子の頭を撫でた。