はろう。ぐっばい。
「ちょっと、ちょっと!」
おじさんは必死の形相でした。
「お嬢さん、困るなぁ」
痩せた体のおじさんは、少ない髪も濡れていてなんだか見ていて切ないような気持ちになりました。
「その貝は私のなんだよ、お嬢さん」
「まぁ」
「返してくれなきゃ困るよ」
おじさんは怒るというよりは困るといった顔で、貝の中から顔を出す彼女を見下ろしました。
「あら、でも、この貝は素敵だわ。それに、私が見つけたのよ」
彼女がそう言うと、おじさんの困った顔がさらに困った様子になりました。
「お嬢さん、そりゃあその貝は素敵さ。でもね、もともと、私のものなんだよ」
女の人はなんだか嫌な気持ちがして、貝の中に顔まですっぽり埋まってしまいました。
「これこれ、出てきてくれ。返してくれなきゃ困るよ」
裸のおじさんは泣きそうな声になって言いました。
貝の中は真っ暗でした。ちょうど、布団の中にもぐりこんだときのように。
おじさんの声が遠くに聞こえます。
「私はただ海で体を洗っていたんだ。そしたら急に、貝を持って行かれたもんだから、そんなの困るよ。それはずっと前から、私のものなんだ」
おじさんんはほとんど泣いていました。
海の水に濡れた、裸の、痩せたおじさん。なんだかかわいそうな気がしてきて、女の人は貝からひょこっと顔だけ出しました。困った顔のおじさん。かわいそうなおじさん。髪だって少ない。
「返します」
女の人はぬぅっと貝から出て、体についた砂を払いました。
「ありがとう。助かった」
おじさんはそう言ってすぅっと貝の中に入りました。
「君にはそのワンピースのほうがよく似合うよ」
貝から顔と両手を出したおじさんが言います。
「ありがとう。素敵な貝だったわ」
女の人はそう言って手を振り、家のあるほうへと歩いていきました。
少し惜しいようにも思うけど、仕方ありません。
しあわせという意味の名前の女の人は、帰って、温かい紅茶を作って飲みました。