夢で桜が散る頃に。
桜はあっても、綺麗な若葉たちのせいで、あまり目立たなくなった。
深夜の激しい雨のせいでほとんどが散り、桜の木は綺麗な若葉をまとう木となった。
空はあの雨が嘘だったかの様に、快晴だった。
透き通った青。
ゆったりと漂う白い雲。
しばらく私の目は、桜の木と空に奪われていた。
「綺麗よね‥。あの事が本当、嘘みたいよ」
赤くそまった手、服。
深夜の大雨、目の前に広がった赤い水溜り。
眠る様に瞳を閉じたあんた。
眠っている様にしか見えなかったあんた。
もう氷の様に冷たくなったその手。
「‥‥何、考えてるのよ」
もう直ぐ、私もそっちに行くんでしょう?
最後のラブレターを読んだら、逝くんでしょう?
志黄の家に行くのは初めてじゃなかった。
前にも何度か訪れた事がある。
あの時に握った、志黄の手の様な冷たさの鍵を鍵穴に挿す。
鍵を回すとガチャリと音が鳴って、開いたと私に知らせた。
玄関に入って深呼吸を一つ。
一番真っ先に感じたのは、志黄の匂いだった。
志黄に、包まれているみたい。
この匂いは私を酷く安心させ、私を死の世界へと駆り立てた。
「お邪魔します」
ここの主はもういないけど、挨拶をして靴を脱ぎ、もちろんそろえて上がった。
『よう来たなぁ!』
上がった瞬間、そう聞こえた気がした。
それが空耳なのは、自分が一番理解している。
ここに来た時は、いつもそう言って私を迎えてくれていたっけ。
部屋の中を見渡せば、そこにある全ての物が志黄を感じさせた。
涙で視界が揺らいでいくのが分かる。
死んだと知らされた時は泣きもしなかったのに。
此処に来て涙が零れそうになるなんて‥‥。
和風の座敷に足を踏み入れると、黒い机の上に真っ白な封筒が。
宛て先はもちろん、私宛て。
私は封筒から手紙を取り出して、静かにそれを広げた。