【短】きみに溺れる
「もう少し飲もうか。せっかく会えたんだし」
彼の言葉にうなずき、新しいカクテルを注文した。
会話はほとんどなかった。
沈黙を味方につけて楽しむように、彼はゆったりと微笑んでいた。
お酒は得意じゃないけれど、これを飲んでいる間、彼はここにいる。
さやかさんの待つ部屋ではなく、私と一緒に、ここにいる。
私はもう、さやかさんのことを口にしなかった。
そんな人はこの世の中に存在しないかのように振る舞った。
だから、あなたも忘れて
今だけはあの人を忘れて
そう思いながらカクテルを飲み干すと、のどが焼けたように熱くなった。
「黒崎、目がうるんでる」
そう言われて初めて、瞳の奥がしびれていることに気づいた。
にじむ視界。
あいまいな境界線。
酔ってるんだ、私は、酔ってる。
「先輩」
自分でも驚くほど静かな声で、私は言った。
「あの言葉の意味を、教えてください」
彼は一瞬、表情をこわばらせ
そしてゆっくりと私に手を伸ばし、髪に触れた。
「たぶん、黒崎が思ってるのと同じ意味だよ」