【短】きみに溺れる
抱き合っている間、彼は私の瞳の奥をのぞきこみ
「マーヤ」
何度もそう繰り返した。
真綾。私の下の名前。
だけど親以外からは、ほとんど呼ばれたことのない名前。
彼がこの名前を覚えてくれていたなんて、初めて知った。
彼の発音する「マーヤ」は
まるで初めて聴く異国の音楽のよう。
遠い遠い、知らない国……
私は彼に囚われて、こんな場所まで来てしまった。
昨日までの自分を、私はもう見失ってしまった。
ふいにそんな思いに駆られ、怖くなる。
「椎名先輩」
すがるような声で呼ぶと、
彼は「ん?」と瞳でたずねてきた。
「……何でもない」
うまく伝える言葉がなくて、首を振る私に、彼は微笑んで言った。
「マーヤは本当に、ほっとけない奴だな」
なんて優しい言葉だろう。
なんて残酷な言葉だろう。