【長編】Sweet Dentist
「…俺は祖母から母は死んだと教えられて育ち、中学生くらいまではそれを信じていました。
だけど珍しく父が酔って帰ってきたある日、俺の記憶の中で初めて自分から母の事を洩らしたことがあったんです。
母は…イギリスで生きていて、父は母との約束を護る為、帰ってくるのを待っている。
都市開発で立ち退きを言い渡されているにも関わらず、あの場所でクリニックの営業を続けようと立ち退きを拒否しているのは、母の為なんです」

あの場所でクリニックを営業する事に拘っている。

そういえば、初めて真由美さんと会った時、クリニックを存続させたかったら結婚しろとかそんな事言っていたわよね?

真由美さんのお父さんは地元の有力者だ。立ち退きを白紙にする力があったかもしれない。

だからこそ響さんのお父さんは、響さんと真由美の結婚を望んでいたのかもしれない。

「生存者がいたという報道は聞いていないが、もしもそれが事実なら、何故オッサンは迎えに行かないんだ?」

「それは解りません。俺は今まで母に捨てられ、父には嫌われていると思っていたので、そんな事を考えてみたこともありませんでしたから。
ですが…今日、色んな事実を知って、俺自身が大きな誤解をしていたことも分かりました。
だから…父に真実を問い質してみたいと思います」

響さんのこれまでの傷を思うと、彼の素直な気持ちに胸が痛んだ。

けれど、その瞳は何かを吹っ切ったように澄んでいて、とても穏やかだった。


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