看護学校へ行こう
看護学校入学
「あれ、白鳥だよね。」

室蘭から苫小牧へ車で向かう途中、ぼんやり行き過ぎる景色を眺めていたら、白鳥が2

羽、曇った空を西へ向かって飛んでいくのが見えた。

「ああ、苫小牧は野鳥の生息地だからね。」

お父さんは運転しながら、ちらっと目を空へ向けた。

「これから始まる生活の門出だよ、きっと。」

にっこりしながらお父さんは言う。お母さんも

「そうだねえ。」

とうれしそうに、車の後部座席から声をかけた。私はさほどうれしくもなく、ただ黙って

いた。

 私、中山 聖子。北海道室蘭市出身。昭和61年3月に地元の高校を卒業し、苫小牧の

看護学校への入学が決まっていた。けれど看護学校へ入学するのは、私の本意ではなかっ

た。私は大学進学希望だったのだ。だが私が高校2年のとき、両親が知人の借金の保証人

になり、その知人が行方をくらましたため、我が家に膨大な借金が覆い被さってきた。そ

れで、とても大学進学どころではなくなった。だが、なんとしても進学したかった私は、

いろいろ進学できる方法を調べた。すると看護学校というものは、市立や国立だと、授業

料がべらぼうに安いことがわかった。だいたい月3000円の授業料で、入学金は5万円

位だ。私が調べた看護学校だと、寮の費用はただで、月食費1万円前後払えば良いとのこ

と。その他日用品など雑費に使うお金を入れても、月4万円もあれば足りる計算だ。私は

お父さんに相談した。ちょうど借金の取り立ても厳しくなっていて、もはや自己破産かと

いう瀬戸際の時だった。いくら看護学校の授業料が安いと言っても、お金はかかる。家庭

のことを考えると、就職するのが親孝行というものだが、私はとにかく進学したかった。

正直「高卒」という肩書きがつくのが嫌だったからだ。そこでお父さんは決心し、会社を

退職した。その退職金で借金を清算し、私の看護学校の入学資金をつくってくれた。おか

げで晴れて、今日の看護学校の入学式を迎えることができたのだ。私の看護学校入学を期

に、両親は札幌へ引っ越し、心機一転、夫婦で新しく働くことにしていた。






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