看護学校へ行こう
ともかく先輩がいまにも爆発しそうな表情の中、二時間経過してもまきよちゃんは拒み続け、
「もうかえって良いよ。」
と先輩の方が折れた。冷や汗だらだらの二時間だった。
こうしてお部屋まわりは毎日深夜まで続き、その間まきよちゃんは一切歌を歌うこともなく、芸を披露することもなく、十日目でようやく全部屋をまわり終えた。私は寮生活がこんなに厳しいと思わなかったので、辟易していたが、みんなも
「もうやだ、家に帰りたい。」
と言っていた。だが土日は外泊が許される。行き先と帰宅時間を書類に書いて、教務のはんこをもらえば良いのだ。みんな行き先は「自宅」と書くが、慣れてくると、帰宅する者など皆無に等しい。みんなはほとんど彼氏とお泊まりか、ディスコに行くかである。昭和の末期、ディスコ全盛の時代である。
初めての土曜日、私も外泊することにした。このときはまじめに自宅へ戻るのが目的だった。苫小牧から札幌までは、バスで一時間半くらいだ。寮生活の報告もあるし、やはり初めて親元を離れると言うことは、心細かった。
ところが引っ越したばかりの実家に戻るのは初めてなので、道に迷ってしまった。住所からいくと、この辺のはずだが・・・なぜか墓場についてしまった。仕方がないので公衆電話で自宅に電話する。お母さんが道順を説明し、その通りに行くと、古ぼけた木造平屋建ての、隣の家とつながっている長屋についた。表札を確認すると、確かに「中山」と掲げてある。私は悲しくなったが、とにかく家の中に入った。帰宅すると両親は私のことを心配して待っていた。新しい家は、六畳、四畳半、三畳間で風呂はない。お母さんは私の好きな、挽肉団子の鍋料理をつくってくれていた。寮のまずい食事に辟易していた私は、お母さんの鍋を堪能した。お父さんは食事しながら
「新しい職場が決まったんだ。夏は道路清掃、冬は除雪の作業員だ。」
と言った。お母さんも、
「私は水産課工場で働くことになったよ。」
と話した。何とかこれからの生活のめどがたち、3人で、何はともあれ良かったなあとホッとした。
「もうかえって良いよ。」
と先輩の方が折れた。冷や汗だらだらの二時間だった。
こうしてお部屋まわりは毎日深夜まで続き、その間まきよちゃんは一切歌を歌うこともなく、芸を披露することもなく、十日目でようやく全部屋をまわり終えた。私は寮生活がこんなに厳しいと思わなかったので、辟易していたが、みんなも
「もうやだ、家に帰りたい。」
と言っていた。だが土日は外泊が許される。行き先と帰宅時間を書類に書いて、教務のはんこをもらえば良いのだ。みんな行き先は「自宅」と書くが、慣れてくると、帰宅する者など皆無に等しい。みんなはほとんど彼氏とお泊まりか、ディスコに行くかである。昭和の末期、ディスコ全盛の時代である。
初めての土曜日、私も外泊することにした。このときはまじめに自宅へ戻るのが目的だった。苫小牧から札幌までは、バスで一時間半くらいだ。寮生活の報告もあるし、やはり初めて親元を離れると言うことは、心細かった。
ところが引っ越したばかりの実家に戻るのは初めてなので、道に迷ってしまった。住所からいくと、この辺のはずだが・・・なぜか墓場についてしまった。仕方がないので公衆電話で自宅に電話する。お母さんが道順を説明し、その通りに行くと、古ぼけた木造平屋建ての、隣の家とつながっている長屋についた。表札を確認すると、確かに「中山」と掲げてある。私は悲しくなったが、とにかく家の中に入った。帰宅すると両親は私のことを心配して待っていた。新しい家は、六畳、四畳半、三畳間で風呂はない。お母さんは私の好きな、挽肉団子の鍋料理をつくってくれていた。寮のまずい食事に辟易していた私は、お母さんの鍋を堪能した。お父さんは食事しながら
「新しい職場が決まったんだ。夏は道路清掃、冬は除雪の作業員だ。」
と言った。お母さんも、
「私は水産課工場で働くことになったよ。」
と話した。何とかこれからの生活のめどがたち、3人で、何はともあれ良かったなあとホッとした。