青春の蒼いカケラ
なおとは地域支援センターと言うところへ通ってた。病院の紹介である。ただ集まって、お茶飲んで、音楽を聴いて、のんびりしてた。詩集も出来た事だし、ある程度の目標は達せたなと思ってた。何にもやる気がなかった。金周りは良かったので、ちやほやされてた。
週二度夕食会があって、三百五十円で食べられた。隣は授産施設の印刷会社だった。そこの食堂も利用できた。400円だった。パソコン教室も在ったので、毎日毎日かよってた。最初の先生に仕込まれたホームページも充実してきた。ともだちも多かった。みんなに慕われる存在になってた。

のりちゃんは朴滅病院で悲惨な生活をしてた。ところが状態が悪いと言うのでつつじヶ丘に有る美等病院へ転医となった。そこへ移ってから徐々によくなってきてきた。良い先生にも恵まれた。だんだんと友達も増えてきた。閉鎖病棟だった。のりちゃんの両親はもう亡くなっていた。姉が埼玉県の蕨にいるということだった。行き来もなかったらしい。のりちゃんはアパート退院した。つつじヶ丘の駅から10分ぐらいのところであった。
美等病院のデイケアに通いだした。

なおとは相変わらずはしゃぎまわってた。調子が高いと職員さんに注意されてた。地域生活支援センターは、水があってた。毎日通ってた。よくパソコンが出来るというので、ボランテアでインスクラクターをやることになった。先生一人なので手がまわらないらしい。なっきいとあだ名を付けられ、なっきい先生と呼ばれてた。なおとは久しぶりに、インターネットで文学館のクリエーターフォラムを開いて見た。なんと、なおとのイラストがグランプリ賞を取ってる。驚いた。桜の木のいらすとだった。パソコンで描いたやつだった。嬉しくなって皆にいいふらした。二十五の時である。応募にはまりだして詩やイラストを、あっちこっちに応募した。文学館からは、執筆依頼もきてた。のりに乗ってた頃だった。応募もまめにやったせいか、文学館のクリエーターフォーラムでは。五回グランプリ賞、四回連続だった。嬉しくてしょうがなかった。はるおちゃんが祝ってくれた。新宿の焼肉屋へ連れて行ってくれた。2人は乾杯した。

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