太陽が見てるから
スライダー
「夏井。例えば、最終回。ツーアウトで残塁者は無し。ツーストライク、スリーボール。ラストバッターは4番で右打者だとする」
お前なら何で勝負する? と相澤先輩が訊いてきたのは、夏の甲子園、県予選決勝前夜のことだった。
宿泊していた老舗旅館で、消灯寸前の時間帯。
おれは潜り込みかけていた布団から体を引きずり出し、相澤先輩の正面に正座した。
「……直球っす」
おれはかなり真剣に悩んで答えたのに、相澤先輩は穏やかに笑ってのけた。
風呂上がりの清潔感たっぷりの、爽やか過ぎる笑顔だった。
「夏井は真っ直ぐ過ぎるんだな。もう少し、性格歪ませてもいいと思うけど」
「はあ……じゃあ、相澤先輩なら何で勝負するんですか」
「うん」
おれの質問返しに、相澤先輩は胡座をかきながら強気な口調で答えた。
おれなら迷わずスライダーだ、と。
「おれと夏井にはサウスポーっていう武器があるんだから。スライダーだ」
相手を威嚇して欺いてやるんだ、と。
スライダー。
相澤先輩の勝負球だ。
投げた腕と逆方向に滑るように、水平に曲がる球だ。
「右打者を欺く。アウトコースからインコースぎりぎりいっぱいまで、落とさずに変化させてやる」
もし、明日の決勝で同じ場面になったら、おれはそう決めてる、と相澤先輩は言い、おれの左肩を数回叩いて自分の床へと戻って行った。
その日の夜は、とにもかくにも寝付けなかった。
胸が燃えたぎるように熱くなって、苦しくて、その熱が下がる事はなかった。
相澤先輩をカッコいいと思ったし、一生追い抜く事はできないだろうと思った。
まして、一生追い付く事すらできないかもしれないとも思って、極度に落ち込んだ。
今、この新しい香りのするパリッとした布団から飛び起きて、夜が明けるまでボールを投げ続けたいほど、悔しくてたまらなかった。
ゴウゴウといびきの大合唱を聞きながら、真っ暗な大部屋で目をぱっくり見開いて、黒い天井に思いを馳せた。
朝方まで冷静にはなれなかった。
いつの日か、おれもスライダーという一球に夏をかけてみたい、と。