桃陽記
「ああぁ……俺ぁ運が良い…のこのこ自分から来やがった…」
髪よりぬめりを帯びた黄ばみを伴う歯が並ぶその口元を歪ませて、元は高かったことを伺わせる声をかすれるように低く低く垂れ流した。
「おはよう!」
「あぁもう日が上がってるのか…それともそれしか知らねぇのかな…」
少女の事を認識しているのかいないのか、返事をしていてもどこか少女を見ていないような口調。
そこで少女は少し黙った。
相手の対応に不審を抱いたわけではない。
「…あなた、誰か待っているの?」
「待っているよ……もう待っている誰も来れやしねぇとわかってるがね…」
相変わらずの調子で答えた相手に不快感を見せる事もなく、少女はその長い毛の奥に見え隠れする黒い目を見たまま口を開く。
「淋しいのね」
その言葉に、歪んでいた口元を初めて訝しげに曲げると、不意を突かれたのかその手の内にあった少女の足がズルッと抜け落ち少女はべしゃりと数十センチ下にあった土と苔の地面へと落ちた。
そんなに高くから落ちたのではなかったのと、子供ゆえの柔らかい身体が幸いして手を着きながら肩から落ちたが無傷で立ち上がった少女が改めて相手を見上げるが、そこまで大きいわけではなかった。
ただ、腕が軽く屈んだだけの体勢で完全に手首から先はべたりと地面に着いていた。
「知らないよ…一緒に生きていく方法しか知らなかったんだ……てめぇだけで生きていくって事がわかんねぇのさ…」