桃陽記
白髪混じりに赤茶けた猿だった。
その黄ばんだ頭部の毛は、もしかしたら金毛だったのかもしれない。


わからないとこぼすその呟きには正気が見て取れる。

だからさぁ…とその長い腕を伸ばして少女の首を掴む。
乾いた分厚そうな皮膚が、柔らかく薄い少女の皮膚を圧迫する。


「奴らんとこ行く前にさ、景気づけに森に紛れ込んだ柔らかい肉を食らってきたって土産話くらい、あっても悪かぁねぇよなって思ってたとこよ」


次第に強まって行く握力は、恐らく締めるどころではなく、その柔らかく細い首を引きちぎる事を目的としているのだろう。
初め老いた猿をただ見ていた少女の顔は段々と苦痛に歪んで行く。




ドクンッ


「ッ!?」


突如内臓を掴まれるような不気味な悪寒に、生来危険を察知する性能に長けたその脳が命令を下すより速く、手は少女の首を離れた。

しかし、地面に倒れむせる少女からは、さっきの不気味な気配はもう微塵も感じられない。
その代わり、自身の背後に現れた自身よりはるかに巨大な気配に諦めの溜め息をついた。



「アンタの獲物だったのか…」



気配の主は答えない。
想定内なのか、もう一度溜め息をつく。


「…ったく…機を逃しちまったなぁ、アンタに勝てねぇのはわかってるよ。元より、奴らが死んだ時点で俺はもう誰にも勝てねぇのは承知だ」


そのままその場に大の字に倒れると、平常の呼吸を取り戻した少女が覗き込んでくる。
先程殺されかけたにもかかわらず、その瞳には恨むような色も恐れの色も見られない。


「ちびちゃんよ…オメェ、この森で生きていくにゃ向かねぇよ……今ここでんな簡単に近付いたらよぉ、またその首ひっつかまれるかも知れねぇだろうよ…」

「死ぬの?」


自嘲しているような、からかうような老猿の言葉には返さず、少女はその目を真っ直ぐ合わせ尋ねた。



「死ぬよ。俺がてめぇだけでどうしたもんかわかんねぇように、あいつらも困り果ててるに決まってらぁ……」




そう言って、酷くヒトに似た、皮肉じみたような…それでもどこか愛しそうな笑みを浮かべ、老猿はそのまま動かなくなった。
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