桃陽記
身体の芯をふるわせるような穏やかな声に、少女はピョコンと顔を上げる。


「この森に留まりたくば我等が王に許しを請うてみよ」

「?……われらがおお…?…」




小さな首を傾げて見る。
『王』という言葉に、自分の中で何か動いたような妙な感覚を覚えたが、すぐにわからなくなった。





「王の下に、自分の足で辿り着いてみよ」








そう言って彼は音もなく翼を大きく羽ばたかせ、再びその巨大な身体を宙に浮かせる。

少女のなかで、急激に寂しさと、一抹の不安が湧き上がる。


「どこいっちゃうのぉっ?」







言いながら追いかけるが、夜闇に浮かんでいた青白い影は見る間に高度を増し、どんどんと木の葉の闇にその身を溶かしていく。
































「わが名はメイスフォール。
王の元にお前が辿り着く事が出来た時、また会うだろう」

























闇に完全にその身を溶かし、声だけを残して飛び去った老梟の消えた方向を見ながら、少女は一生懸命に彼の言葉を咀嚼する。


自分の中に記憶がないことも、たった今自分が独りでいることも、ふわふわと実感がなく、哀しくもなければ、怖くもない。






それが普通でない反面、自身の中でのこれ以上ない自己防衛であることを、知る者は何処にもいない。





「ん……よし」







感じた温もりを頼るように、少女は森の中を歩き出した。
< 9 / 23 >

この作品をシェア

pagetop