僕の中の十字架
〈Mars〉
「……さ、サエ?」
リビングのドアを勢いよく閉じ、荒い息で壁に寄りかかるサエに、ぼくは歩み寄ろうとした。が、
「来ないで!」
「どうしたの…?………な、何か、あった……?」
「何もないから!」
ぼくはびっくりした。
サエのこんな表情は見たことがない。別人の様だ。
「何もないから! 大丈夫だから! 行こう!! 帰ろう!」
そのままドタドタと足音をたててぼくのところまで来て、腕を引っ張って玄関に向かおうとするから、ぼくはその場で踏ん張って抵抗した。
「何もないって様子じゃないだろ!! 離せって!」
「いやっ!」
サエも必死にぼくの腕を引っ張った。
その様子に、その辛そうな表情に、何故か胸が締め付けられた。
何かあったんだ。
腹の底で、ザワザワと何かが音を立てている。
それは氷水の様に冷たく、そしてマグマの様に熱い、なんともよく解らないものだった。
「大丈夫だよ………、全部嘘だよ………」
「何があった!?」
ぼくはサエの肩を掴んで、必死に訊いた。
「何も………何もな……」
サエが言葉を切り、床に座り込んで両手で顔を隠した。
「うわああぁぁあぁああああぁぁあぁぁぁああぁああああっっ!」
胸に刺さるような泣き声だった。サエが何を見たのか、確信は無いが大体理解した。
それを認めるのは、とても恐い。
サエのつむじを見下ろして、ゆっくりと訊いた。
「母さんだった?」
何が、とは意図的に考えなかった。
サエは何も答えない。
更に泣き声が大きくなった。
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