liftoff
 困った。
 海辺で抱いたあの幻想が、今の状況と交錯して、ますます、顔が火照ってきた。
「力を抜いて」
 彼は、柔らかくそう言って、わたしの足首を持って、アキレス腱をぐーっと伸ばす。そこからしばらく、ストレッチのようなマッサージが続いた。まるで、スポーツマッサージみたいな感じ。すっっっごく、気持ちがいい。
「ほら、もっと力抜きな、って」
 だいぶ力を抜いているつもりなのに、まだ抜けきっていないようだった。一体、身体のどこに力が入っているのだろう。そう思いながら、必死に力を抜こうとしてみる。
「……僕に、恐怖心があるとか?」
 彼は、冗談っぽくそう言いながら、わたしの足首をぐるぐる回す。そして、わたしが、いいえ、と言おうとした、まさにその瞬間、グキッ、とその関節を派手に鳴らした。
「!!」
 全然痛くはなかったけれど、その音に驚いて、わたしは、思わず顔を引きつらせた。
 彼は、笑いながら、その手を膝に動かして、今度は、そこをブラブラと動かす。そして今度は、間髪を入れずに、グキッ。その要領で、股関節も、グキッ。
 痛くはないのに、思わず、悲鳴にならない悲鳴を上げてしまう。だって、まさか、股関節が鳴るだなんて……。
「もしかして……今日、具合悪い?」
 血流をコントロールするために、脚の付け根の血管を指で圧迫していた、彼の表情が曇る。わたしは、ぶんぶん、と首を横に振る。よく考えてみたら、わたし、さっきから一言も喋ってない。
「……そう。ならいいけど……。脈が、妙に……」
 途中で言葉を切ると、彼は、ほんの一瞬、素の表情で、わたしの目を見詰めた。
 何故か、思い切りドキッとした。
 彼も、そうだったような気がした。
 けれど、彼は、そのまま黙り込んでしまって、再び、マッサージに専念し始めた。5分、10分、と沈黙の時間が経っていく。
< 56 / 120 >

この作品をシェア

pagetop