皎皎天中月
「はい、婆様。これです。でも」
 中をざっと見た恵孝は眉をひそめた。
「本当に古い書物ですよ。字も少し違うし、言葉遣いも……梨の爺様のように、古えの言葉に通じた人でないと簡単には読めません」

 祖母からの返事はない。不審に思っていると、何やらぶつぶつと唱える声がする。丹祢は階段のすぐ下にある燭台の近くで、目を瞑って口を動かしていた。

「婆様」
 恵孝に呼ばれても、丹祢はしばらくぶつぶつとやっていた。昔話――その様子を見て、恵孝は先ほどの丹祢の言葉を思い出した。丹祢の頭の中には、膨大な量の物語が収めてある。この人は語り部で、文字を持たない代わりに、凄まじい程の記憶力を持つ。


「樹紀四百三十五年の春、杏家当主は朱恵」
 丹祢の語りが始まった。
 樹紀四百三十五年、もう八百年も昔の話である。
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