皎皎天中月
軽食を恵孝の脇に置いて、恵弾は母屋に戻った。火鉢を取りに行った。寒風に晒した薬草を持った恵正とすれ違った。
「蔵に運ぶのか」
「あれでは恵孝が凍えてしまう。納得するまで、居させてやりたい」
恵正は首を横に振った。
「居させてやりたいのはわかる。そうさせろ。じゃが、火鉢は不要」
「なぜ」
「この乾いた時期に、蔵を火事にでもしてみろ。風に乗って、あっという間に町は火の海」
確かに。それに、恵正は言わないが、恵孝が蔵から出てくる為の口実を残しておくこともできる。寒いから、と。
「父さん」
「何だ」
「菜音の死を、恵孝は乗り越えられるだろうか」
恵正は一度蔵に目を向けた。それから、薬草を束ねていく。
「乗り越えなくともよい。胸にずっと抱えていくのじゃ」
そして、何度も聞いた言葉を繰り返した。
「いくら嘆いても、失った命を取り戻すことは出来ぬ。医者がやるべきことは、今ある命を救うことだ」
「では、神は何をなさるのか」
恵弾の問いに、恵正が答えようと口を開いたとき、
「杏先生!」
と、店の表から張り上げた声が聞こえた。恵正と恵弾の体が同時に動いた。恵弾が恵正を制すと、恵正はわざとらしく咳払いをした。恵弾は頷く。
「私が行きますよ、『杏の大先生』」