皎皎天中月
 「街の子」の貞陽がそこにいた。
「やあ」
 恵弾が声をかけると、貞陽はさっとお辞儀をした。
「杏先生、このたびは、とつぜんのことで、お、おくやみ、もうしあげます」
 たどたどしい挨拶は、誰か周りの大人に教えて貰ったのだろう。恵弾は深く頷いた。
「ありがとう。今日はどうしたのだ」
「小間物屋の白芽さんから、これを届けるように言われて来ました」
 貞陽の両手に収まるほどの、細長い包みだ。
「何だろうか」
「若先生に渡しなさいと言われたんですが、いなかったら杏先生か富幸さんから渡してもらうように頼みなさいって。若先生が見えなかったので、杏先生を呼びました」
「そうか。恵孝のところに案内しよう。貞陽から渡すといい」
 はい、と貞陽は小さく返した。包みを懐に入れ直し、恵弾に導かれるままに進む。そして蔵の梯子を登り、そそくさと降りて来た。

 それは、恵孝から菜音への贈り物だったという。貞陽が戻ったあと、蔵からは恵孝の啜り泣きが漏れ聞こえた。富幸は恵孝の歔欷の声が耳に入ると、はっとして泣き止んだ。夕刻になり、店を仕舞い、恵孝を除いた家族は食堂に集って、それぞれに思いを巡らせていた。

「神がなさることはな」
 恵孝に夕食を届けに行った恵正は、その盆をそのまま持って戻った。恵弾は肩を落とす。まだ恵孝は蔵の中か。だが、恵正はその様子を見て穏やかに微笑んだ。
「時々、折り良く訪れて、人に兆しを見せることだ」
 恵正がそう言って体をずらすと、そこには恵孝が立っていた。目は赤いが、表情は落ち着き、足取りは確かだ。
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