皎皎天中月
「山が騒いでおる」
 広源の白髪が、風もないのににわかに揺れる。
「鳥がやかましく飛び、季節外れの雲が出ている。山で何かが起こっている」
 恵弾は目を見開いた。
「富幸から便りがあったこともあり、弟子を馬で走らせた。が、分からぬという。何も変わったところはなかったと」
「……何も?」
「一頻り峰を巡ってみたが、杣人や猟師以外の人の姿はなかったそうだ。恵孝も」

 恵弾は言葉に詰まり、ただ広源の目を見る。が、その少し濁った目は、恵弾を見ていない。遥か遠くを見ているようだ。
「五日ほど前、ここから北東にある宿に、恵孝らしき若者が泊まっていたのは分かっているのだがな。それより先の足取りは掴めぬ。杏恵弾よ」
 広源の周りに渦巻いていたものが去り、広源の目はようやく恵弾を見た。

「祈るか、神に」

 恵弾は、頷く。頷いて、それから拳を握る。
「私の身が解放されれば、探してやれる。恵孝の旅の目的もなくなる。だから私は、恵孝の無事を祈りながら、私にできることを……蛇殺し草の毒に克つ術を探します」
 広源は、それが良い、とその澄んだ声で答えると、杖をつき、部屋を出た。

 
  
 
 
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