(短編集)クレイジー
『サイドテーブルの上』
 

わ た し が し ん だ ら

そ の と き は、


彼女は何度も言った。
か弱い声で、紡がれたそれはまるで呪文。
有無を言さぬ力を持った、魔法の言葉だった。
僕はそれに無言で頷く。
そうすると彼女は満足気に笑うのだ。
その笑みを見ると、汚れた世界でもこんな風に笑える人がいるのか、と、どこか感心にも似た感情が脳裏を掠めたものだ。
そんな彼女とは対照的に、感情表現が上手いとは言えない僕は、彼女から見れば何を考えているのか分からなかったに違いない。
それでも彼女は何も語らない僕に喋り掛けるものだから、僕といったらそれに耳を傾けるだけ。相
槌なんかもうたない代わりに、彼女の言葉を一欠けらさえ残さず聞き取ることに専念していた。


「今日もいい天気だよ」


僕をちらと見て彼女は促すように視線を窓へ移した。
窓の外にはお世辞にも綺麗だとは言えないビルの群れ。
そして、空を突き破るように高く伸びたそれらの間から、切り取られたように青空が見え隠れしていた。

僕は彼女に応えるようにひとつ頷いて、その空を見詰める。
見える範囲など限られている。
まるで飾られた絵画のような、窓から覗く風景。
窓枠が額縁の代わりをしているように思えた。
しかし風景画ならば明らかなる選択ミス。
ビル群を画いても誰も美しいなどとは思わないだろう。
少なくとも僕には汚く見えたけれど、彼女には違うように見えているらしかった。


「外はあたたかいだろうね。太陽の光りが反射して、とっても綺麗」


どうやら彼女は外の世界に憧れをもっているらしく、その瞳は羨むように汚い絵画へ向けられていた。

分かっている。
彼女がそう思い、考えるのは当たり前のことなのだ。


 
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