風になったアナタへ
2003年1月某日(リンの死後4年6ヶ月)
~パトリシアにメールを書く~
私はパトリシアに電子メールを書こうとしたが、知っているつもりだったアドレスを、実際は知らなかった。そこで私はパトリシアがキルトの先生で、キルトの本を出したこともあることを思い出し、パトリシアのフルネームをアメリカの検索エンジンで調べた。
パトリシアのホームページはすぐに見つかった。見覚えのある優しい色合いのキルトの写真が掲載されていた。クラスの案内や申し込み方法、作品や本の紹介などがされている。 私は、そのホームページの一番下に思いがけない言葉を見つけてしまった。
『パトリシアは現在、癌を患っており化学療法と放射線治療を受けています。お客様には、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、良くなるよう頑張りますので、どうぞ今後も宜しくお願いいたします。』
心臓を鷲づかみにされたようなショックを感じた。必ず会いに行く、私の元気を分けてあげる、そう強く思った。私は、さっそくそのホームページに記載されていた電子メールのアドレスにメールを送った。
パトリシアのホームページはすぐに見つかった。見覚えのある優しい色合いのキルトの写真が掲載されていた。クラスの案内や申し込み方法、作品や本の紹介などがされている。 私は、そのホームページの一番下に思いがけない言葉を見つけてしまった。
『パトリシアは現在、癌を患っており化学療法と放射線治療を受けています。お客様には、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、良くなるよう頑張りますので、どうぞ今後も宜しくお願いいたします。』
心臓を鷲づかみにされたようなショックを感じた。必ず会いに行く、私の元気を分けてあげる、そう強く思った。私は、さっそくそのホームページに記載されていた電子メールのアドレスにメールを送った。