あなたが一番欲しかった言葉
ビールフェアの夜のことは、誰にも話せずにいた。

あの後、店で眠り込んでしまったエミさんと真梨子を、イサムの車に押し込め、それぞれの家に送り届けた。

イサムは、エミさんとの深夜の抱擁を僕に見られたことに気づいていないようで、それまでとなんら変わらず、誰に対しても屈託のない笑顔で明るさを振り撒いていた。

変わったのはエミさんの方だった。
明らかにイサムを意識しているのが分かる。

オーダーミスや、食器の破損、客とのトラブル、その度に「イサム、イサム」と呼び寄せては、あとのフォローをさせていた。

見ようによっては、エミさんはイサムを嫌っているように見える。

事実そう思っているバイト連中もいた。

でも僕には分かっていた。

男に媚びるのではなく、いちいち構ってしまうのが、エミさんの好意表現の一つなのだと。
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