ココアブラウン
「ほら、隆太、泣かないの」

男の子の手を取って立たせた母親は、


美樹だった。


化粧っけのない顔に薄くルージュを引いただけで静かに笑っていた。


隙のないスーツも8センチのヒールもなくて、洗いざらしのジーンズにダウンジャケットを羽織って髪をざっくりとひとつにまとめていた。


そして、挑むようなあの目線ではなくいつくしむような柔らかなまなざしで彼女の息子を見守っていた。


隆太が奇声をあげて砂場に飛び込んでいくと美樹はあたしの方に歩いてきた。


「あの人、来なかったのね。わざわざ今日を指定したのに」

その声が寂しさを含んでいてあたしははっとした。


「今日は、隆太の誕生日なのに」


隆太は砂場であきもせずまたトンネルを掘り出した。美樹の横顔に冬の弱い日ざしが落ちて影を作っていた。


強く迷いのない美樹。

やさしくやわらかい美樹。


やっぱりチャンネルを変えるように人生を生きていた。


銀行の紙袋を渡すとき隆太がとてとてと小さな足音を立ててあたしに近寄ってきた。


< 117 / 207 >

この作品をシェア

pagetop