天使の林檎
 気が済んで昇降口に戻ると、諏訪君が立っていた。
 その表情は暗い。

「どうしたの?」

 諏訪君の絵は私じゃなくても見ることが出来るはずだ。
 先輩の言葉をきちんと守る諏訪君がいて驚いていた。

「・・・堀口先輩、最近上手く描けないみたいですが、僕のせいですか?」
「え?」
「僕に教えてくださっているから、自分の絵に集中出来なくて上手く描けないんじゃないですか?」

 諏訪君からの思ってもみなかった言葉にさらに驚く。

「まさか! そんなこと気にしてたの?」

 私がスランプになったことで、諏訪君が自分を責めているなんて思いもよらなかった。

「・・・あのね。私、今、スランプみたい。でもそれって、私が成長している証拠なの」
「証拠?」
「うん。私の中が広くなって色んな見方が出来る様になると、絵もかわるの」

 濡れた傘を傘立てに差す。

「絵って素直でしょ? 私は自分の絵が変わって、その変化に驚いて絵がうまく描けなくなっちゃっただけ」
「僕は全然関係ないんですか?」
「もちろん!」

 上履きに履き替え、ちゃんと諏訪君を見た。
 身長差はあまりないはずだが、スノコの上にいる私は諏訪君より1段下にいるせいで目線が少し高くなる。

「諏訪君はまだスランプを経験したことがないから判らないかもしれないけど、このまま続けていればきっとスランプを経験するよ。その時、私の言っている意味がわかるはず」

 毛先が濡れていることに気づいてハンカチを出そうとすると、目の前からグレー地に青いラインの入ったタータンチェックのハンカチが差し出された。

「あ・・・これ」
「はい、堀口先輩からもらったハンカチです。使ってください」

 諏訪君に初めて出合った時にもらった青いハンカチをお守りにしてしまったので、私は新しいハンカチを彼に渡したのだ。

「大丈夫、ありがとう。ちゃんと自分のハンカチがあるし。でも、ちゃんと使ってくれてたんだ」
「はい」

 やっと諏訪君に微笑みが戻ったことにホッとしてしまう。

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