月の雫[七福神大戦録]
私は中庭で、ぼんやりとオレンジ色の空を見上げながら、寝っころがる恵比寿を見つけた。
ゆっくりと歩み寄り、ちょこんと恵比寿の横に座ってみる。
恵比寿は驚いて身を半分起こしたが、また横に直って空を見上げた。
「本当に、ここが好きなんですね……」
「ああ、何故だろうね。いつも気付くと、ここで空を見ている」
恵比寿が微かに微笑む。
「黒崎の言う通りなんだよ。俺には……ずっと、忘れられない人がいるんだ……」
そう穏やかな口調で、語り始める。
「随分昔の事だ。俺が初めてこの世界に降りた時、一人の女性と出会ったんだ。彼女は俺が神だという事を受け入れてくれて、俺も心から彼女を愛した」
不意に、恵比寿の顔が曇る。
「……でも、彼女は不治の病に伏せっていたんだ。彼女を治せる者はどこにも居なかった。ただただ、俺は、日に日に弱まっていく彼女を……見守る事しか出来なかった……」
拳を握り、額に当てる姿は、苦悩に満ちていた。
まるで、呼吸をする事を忘れてしまう程に。
「神の力ってなんだよ?俺は神なのに、苦しむ彼女を治してあげる事も出来ない……。愛する人も守れないで、何が幸福の神だよ!!俺は……本当は、そんな偉い神なんか、じゃない……」
恵比寿の肩が震える。
ずっと……
恵比寿はずっと……彼女の死を、引きずっていたんだ。
何も出来なかった、自分自身も……。
「……私なら、治らない病だと自分は知っていて、それでも、恵比寿に、どうにかして貰ってまで、生きようなんて、絶対思わないよ……。彼女もきっと、最期が来るその時まで、あなたと穏やかに過ごしていたいと思ったはず。残り少ない日々を、愛する人と共にいたいと……」
彼は黙って話を聞く。
「だから……恵比寿は、彼女の望みを叶えてあげられたんだよ。ずっと、最期まで一緒に、居られたんだもん。それなのに、恵比寿がずっと引きずっていたら、きっと、彼女は悲しむよ。自分が病気だった事を、きっと責めちゃうと思う。だから……」
しばらくの沈黙が、私達を包む。
そして――。
「……そうだね」
そう呟くと、ゆっくり起き上がり、私にむかって微笑んで見せた。
「……君の言う通りだよね。ずっと……ずっと、悔やんでいた。俺の心は、あの日から、時が止まったままだった……」
(有難う……)
そんな声が聞こえて、思わず隣を見る。彼は、空の彼方を見つめていた。
(彼女にも、きっと届いていますよ)
私が心の中で、そう呟くと、恵比寿は小さく頷いた。