WELT 〜時の涙〜
 よい『マスター』を見付け、その主の為だけに尽くすという本分をまっとう出来ないことを口惜しいと思わないのか、とアストルはなおもミューラの耳元で呪文のように続ける。
「私と共にこい。そうすれば私がお前に本当の主を得る世界を作れる。このまま永遠に主の資格のない者の所にいればいずれは精神崩壊するだけだ。一緒に『あいつ』を見返してやらないか?」
 耳元で低く響く兄の甘美な言葉にミューラの心がわずかに揺らぐ。それを見逃すはずのないアストルは手を差し出し、さあ、と促す。戸惑いながらも漆黒の髪の美しい弟がその手を取ろうとしたその時、彼の後方から聞き慣れた声が現実へとひきもどす。
「ミューラ?」
「!!……ル、ルーク様?!」
 驚き振り返ると、そこにはミューラが仕える20代前半と思しき若き当主が兜を小脇に抱えて立っていた。ルークと呼ばれたライトブラウンの短髪の凛々しい青年はミューラにアストルの事を確認すると、アストルに深々と頭を下げた。
「カレスカレタ公国、宰相アストル様ですね?私はアリスト家当主、ルーク=アリスト公爵と申します。ずっと閣下にお会いしたいと思っていました」
「…公の事は知っていますよ。我が弟が随分と世話になっていますからね」
 ルークは恐縮ですと再び礼をすると聞きたい事があるとおもむろにアストルに問う。するとアストルは彼の質問を予測していたらしく、返事の代わりにその答えを口にした。
「…公にはその資格がない。この国が降伏し更に100年もたてば公の子孫があるいはなれるかもしれないが?」
 あからさまに挑発するアストルの言葉に怒りを隠さない若き当主はミューラを使用人として以上に友のように思っていると断言する。それを聞いたアストルは小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ミューラを友?……やはり貴公は分かっていない。弟は真の意味の主を欲している。だが、それは貴公ではありえない」
 すると力強い輝きの眸を持つ青年は、力を求めるのなら貴方を倒せば可能性が生まれるかもしれない、とゆっくりと剣をかまえた。その青年の真剣な言葉にアストルは大きな声で笑うと、今度は信じられないほどの冷ややかな表情で言い放った。
「笑止!生命体の頂点にいるこの私を倒すと?…面白い、『人形』に魅入られた愚かな人間よ。試してみるがいい」
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