初恋
      *


 今から三年前、母が亡くなった。卵巣癌だった。それ以来、私がキッチンに立つようになった。小さい頃から母の手伝いをしていたから、料理はあまり苦にならなかった。でも、今だに母の味噌汁の味は再現できない。味噌の配分、煮詰める時間、色々試行錯誤してみたけどやっぱりダメだった。ある日、お母さんのお味噌汁どうやって作るのって、お父さんに聞いた事があった。お父さんは、お母さんにしか作れないものがあるんだよ、と言って私の頭を撫でた。私は頭を撫でられて少し嬉しかったけど、お父さんが母の事をまだ好きなんだって思って嫉妬したのを覚えてる。


 私は制服の上にエプロンを着る。そして、後ろ髪を結った。シンクに溜まった洗い物を済ませる。シンクの前にある窓ガラスが真っ黒に染まっていて、外が暗くなったんだって今頃になって気付いた。


 私はダイニングルームにある十四インチのブラウン管テレビに電源を入れる。八時からの恋愛ドラマが始まっていた。内容は、二人の男性を好きになってしまった女性の心理を描いた恋愛物。今は一人の男性と不仲になって、女性が想い悩んでいるところ。私はボーとしてテレビを眺めていた。私はハッとした。急がないとお父さんが帰ってくる。



 今日はハンバーグ。挽肉と野菜をボールに入れて、私はよく捏ねた。手の平程の大きさに丸めて、真ん中に窪みを入れる。これがうまく焼ける秘訣の一つ。私はフライパンにバターを入れて、フライパンを回した。丸めたお肉をそっと置く。そして、溢れでた肉汁をスプーンで掛ける。これもおいしく焼く秘訣の一つ。私はお父さんの嬉しそうな顔を思い浮べた。ハンバーグだから、ハフハフ言って食べると思う。お父さんは猫舌たがら。


 玄関の扉が閉まる音がした。音でわかる。お父さんだ。私はいったん、火を止めて玄関に向かった。


 お父さんは玄関で靴を脱いでいる。疲れた顔をしていて、紺のスーツに無数の皺が浮かんでた。私は「お帰りなさい、今、ハンバーグ焼いてるよ」と声を掛けた。


「そうか、どおりでいい匂いがするわけだ」


 お父さんは笑った。でも、顔中から疲れが出てて、無理に笑っているように見える。私はお父さんの鞄を持つと「もう少しで出来るから休んでて」と言った。


「悪いな」


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