月影
帰ってきた自らの部屋にはもう、ジルの残り香さえもなかったけど、今は葵のためにもその方が良いのだろうと思った。


灰皿を、泣いてる彼女の背中越しにそっと隠し、淹れたホットのコーヒーをローテーブルにふたつ置く。


こんな時でもありがと、と漏らした葵は、やっぱりあたしには勿体ないくらいの友達だ。



「始めはね、噂聞いたとこからなんだ。」


「…噂?」


ゆっくりと、思い出すように涙を拭って語られ始めた言葉に、あたしは思わず眉を寄せた。


それは多分、聖夜クンがマクラやってるってことだろうし、あたしも聞いたことないわけじゃなかった。


実際、掲示板サイトなどでは根も葉もない噂話も飛び交っているみたいだし。


それでも、この世界なんてそんなつきものだし、本人がやってないって言ってんだから、信じてたんだけど。



「あたしもさ、コウがマクラやってるなんてただの噂だと思ってたよ?
だけどね、あの日、お客との電話、聞いちゃってさ。」


「…電話?」


「またエッチしようねー、って。」


「…そん、な…」


そんな、嘘でしょ?


信じたくなかったし、信じられなかった。


でも、ホストはキャバ以上にマクラすると思うし、あたしは戸惑うように言葉が見つからない。



「売り上げ、落ちたんだって。
どうしようもなかったんだ、って言ってたんだ。」


ズシリ、と胸にのしかかった。


それがどれほど焦ることなのかはわかってるつもりだし、辛い葵の気持ちだってわかる。


それがホストに恋した宿命でもあるのだろうし、聖夜クンばかりを否定は出来ない。


葵は一言として、先ほどから彼を責める言葉なんて使わなくて、だから余計にわかってて苦しかったのだろうと思う。



「でも、それでも別れなかったんだよね?」


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