月影
その顔がよく見えなかったのは、きっとあたしが泣いていたからだろう。


身を固くして顔を俯かせると、それより早くに抱き締められたことには驚いた。


もう懐かしいばかりの煙草とカルバン・クラインの混じり合った香りと、そしていつも通りの冷たい体。


いつの間にか季節は、ジルが好きだと言っていた夏の終わり掛けになっていた。


でも、涼しいのが好きだと言った彼なのに、ちっとも嬉しそうな顔なんてしていない。



「…離してよ…」


言うことが精一杯で、でも振り払うようにと動くことは出来なかった。



「離してよっ!」


それでも懸命に、もう一度強く言うと、その瞬間にフローリングへと押し倒される。


ジルの体よりもっと冷たくて、そして固い背中越しのそれ。


無理やり犯すことだって出来たろうに。


なのに彼は、それをしない。


いつもはあたしのことを犯すように抱くくせに、また嫌いになれなくなる。



「レナ。」


いつもの声で、いつものようにあたしの名前を紡ぐその唇。


なのに何ひとつあたしのものではなくて、もちろん体の一部なんかでも決してない。


なのにとても痛みを帯びて感じ、諦めるように顔を覆った。

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