月影
バレンタインにどれくらいの数のチョコを配ったのかは、もう忘れてしまった。


でも、甘い物を食べないあの人のためのチョコを、渡すこともなく自分で食べたことだけは、はっきりと覚えてるんだ。


虚しさと一緒に口に放り込んだら、また虚しさがあたしの中に溶け込んだ。


甘い味だったのが、せめてもの救いだったのかもしれないけれど。


ムッちゃん、ってお客は、毎日毎日あたしに「愛してる。」と言ってくれる。


あたしはその気持ちを利用して、お店に来させているのだ。


本当はそんなもの、必要としているわけじゃないのに。


葵と聖夜クンの関係があれからどうなったのか、あたしは知らない。


お互いに、あの日以来深い話も愚痴も、漏らすほどの暇も、心の余裕もない。


ただ、まだ辛うじて恋人同士って枠に収まっているのだと、彼女は苦笑いを浮かべていた。


あたしとジルは、どんどん過去の人の枠に収まりそうになってるよ。


まぁ、脆く崩れそうなのは、お互い似たような感じだけれど。


一体あたし、いつまで待てば良いのだろう。


そしてまた、守られる確証もないジルとの約束を思い出すんだ。


あの人が居なかった日々にはもう戻れないのだと、確かに居た証拠が残された自分の部屋に帰ると思う。


服も整えてやってるし、ビールもつまみも買い忘れたことないし、歯ブラシだってあんのに、使うアンタは居ないじゃん。


今ならアイツが言う記憶喪失ってヤツ、大歓迎だ。


ジルが居なくなって、辛うじて保っていた自分自身が悲鳴を声にすることなく、壊れゆくようだと思った。

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