チャンドラの杯
「タリスエバーニア号・・・・・・?」
 シドが赤く輝く瞳を大きく見開いた。
「それは、まさか、アンブロシア財団の──」
「船は来ない」
 ロエンは死人のような表情をしていた。

「僕が墜としたんだ」
 濡れた黒髪が白い頬に張りついている。
「彼女の夫が乗った財団のこの船を、彼女の目の前でこの場所に」
 何の抑揚も感じられない淡々とした声だった。
「あの大戦前夜のことだ」

 ロエンは真っ黒な雨雲が広がる空を無表情に仰いだ。

「大勢の人間が僕のせいで死んだ」
「ロエン、お前は──・・・・・・」
「命令だった・・・・・・軍の。治療薬をバラ撒かれないためのな」
 一際大きく空が鳴って、海に火柱が立った。

「そして、世界はこうなった」

 ロエンはのろのろとした動作でガンナイフをしまった。
 風が凪ぐ。雷鳴が遠くなり、雨足が弛み始めた。

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