悪魔は甘く微笑んで【恋人は魔王様 番外編◇ドリーム小説】
「ほら、早く着替えておいでよ。
キ・ヨ・ミ」

宝石と見間違えそうな鳶色の瞳が、柔らかく煌く。
冗談をふんだんに含んだその口調は、満開の向日葵畑を思わせる温かさに満ちていて、油断すると引きずり込まれ二度と出て来れない気がした。

私はドキドキして破裂しそうな心臓を抱えたまま、自分の部屋へと滑り込む。

悪い、夢?
良い、夢?

どうして、お母さんはあっさり魔法になんて掛かっちゃってるの?
どうして、私には魔法を掛けないの?

心臓があまりにも煩くて、ちっとも考えがまとまらない。

気分を落ち着ける術なんて、ピアノを弾くことくらいしか思いつかない私はさっさと着替え、階下に降りてピアノの前に座る。

こういう時は、そうね。
思い切り手を動かす曲がいいわ。

私は、深く呼吸するととっくに暗譜している乙女の祈りを弾き始めた。

幅広い音域で奏でられるその曲は、テクラ・バダジェフスカが10代の時に作った曲。
普段、あまり使わないような高音域にまで手を伸ばし、優しい音色で奏でていく。

ピアノを弾いている間は、心の中が空っぽになってとても心地良かった。

ずっとずっと、浸っていたいほど。
夕食よと、お母さんに言われるまで、幾度も幾度も、乙女の祈りを繰り返す。

指先を滑らかに動かせば動かすほど、音楽に丸みが満ちてくる。

……これは、私の祈りなの?


そうだとしたら。

心の中いっぱいに吹き荒れている嵐を。
どうか鎮めてください、と。

祈らずにはいられない。


背中に注がれる、熱いまなざしには気づかないふりを決め込んで。
幾度も幾度も、白と黒の鍵盤の上に指を躍らせていた。
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