霧の向こう側
「お兄ちゃんはいつもここにいるんだね」
 赤いゴムマリは、規則的なそれでも柔らかな弾む音を響かせた。青年は笑顔を少女へ向けるとブランコの柵に腰をおろし、優しく答える。
「……そうだね」
 何処か空虚な寂しい答えが返ってくる。それが少女を苛立たせた様だった。
「変なの!自分の事なのに、なんでそのような言い方でいうの?まるで、自分の事を話しているんじゃないみたい」
 少女はマリで遊ぶのを止めると、それを抱え上げて青年の側まで歩み寄り、その青年の顔を覗き込んだ。
 そしてとても驚いた……半分困惑した表情をする。
「何でお兄ちゃん……泣くの?」
 青年は首を振った。
「いや、泣いているわけじゃない」
 少女は伸び上がる様にして、青年の頭を優しく撫でた。慰めている様に。
「どっか、痛いの?」
 青年は無理に笑った。一生懸命心配かけまいと笑顔を作ったのだ。
「……痛く……ないよ?どこも。でも、変なんだ、勝手に涙が出る」
 そういって、少女の頬に手を添えた。少女はしばらく青年を見上げ黙って見つめる。
 青年は、その瞳を見て心の枷が緩んだのかぽつりぽつりと話しだした。
「お兄ちゃんはね、ここから……この場所から動く事が出来ないんだ。ずっとずっと昔からね」
 少女は、マリを青年の足元へ置くと、背伸びをして、少女の胸元より高い位置にあるブランコの鉄の柵に座った。
「……どれくらい昔?」
青年は少し寂しい笑顔をして、空を仰ぐ。
 そして、再び自分の隣に座っている少女へ視線を向けた。
「ずっと、ずっと、昔。お前がまだ生まれる前……かな」
 そして、視線を足元の赤いゴムマリへ向けてそのまま固定させた。
「……とても好きだった子がいてね、でも、一緒にはなれなかった」
「なんで?」
「ふられた……のかなぁ。ある日彼女は一人の男の人を連れてきて、俺に言ったんだ。
『私は貴方の事、一番の友達だと思っているから最初に報告に来たの。私、この人と結婚するわ』彼女が紹介した男はいい奴に見えた。
 その男と並んで立つ彼女は、とても幸せそうに見えた。……彼女がとても好きだから、誰よりも幸せになって欲しかったから、彼を認めた。……だってそうだろ?彼女は俺を友達としか見てくれなかったんだからね」
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