君と、○○のない物語
(変、だろアレは。)
朔太郎は気になって、引き返すのをやめて目を凝らした。
此処からでは遠くて、あまり視力の良くない朔太郎にはどうしても“赤いもの”としか認識出来ない。
基本的に近視だが、眼鏡を外したり目を細めたりしてもやっぱり赤いもの、だ。
そうしている間にも赤いものはどんどん数を増やして、そこかしこで揺らめいて
いる。
こちらに近付きながらひらひらと身を翻し漂って、そう、まさに泳ぐように。
「…金魚、だ。」
すっかり彼を取り囲む大群になっていたそれは、見紛うこともないほど明らかに、金魚だった。
あちこち泳ぎ回る自由な姿は、それはもうきれいだ。
…明らかにおかしい光景だけど。
雨の季節の終わり頃、7月。
今までの生活を超えるドキドキなんて、こっちにはないと思っていた。のに。
どうやら、こっちは比べようもない世界だったらしい。
いや、ないないない。
きっとアレだ、霞み目疲れ目だ。
朔太郎は思い切り目を手の甲で擦って、もう一度辺りを見渡す。
残念なことに、相変わらず金魚達が気持ち良さそうに泳いでいた。
祭りの屋台にいるような金魚すくいの金魚で、大きめのヒレをぴらぴら揺らめかせている。
金魚の品種なんて出目金しか思い浮かばないが、とりあえず赤くて大きいやつ。
涼やかなその光景に思わず見とれてしまい、暫くぼんやりと眺めていたが、3分ほどでようやく我に帰った。
いや、見とれてる場合ではない。
なんだこれ。やっぱり幻覚だろうか?
朔太郎が金魚に触れてみようかと、おそるおそるゆっくりと手を伸ばすと、急に金魚達は泳ぐ方向を変え始めた。
全ての赤が空中の一点を目掛けて泳ぎ、その一点に消えてゆく。