君と、○○のない物語
しかし公鳥は表情一つ崩さず、冷蔵庫から未開のペットボトルのお茶を一本取り出して朔太郎に渡した。
別にいいんだけど、普通お客にはコップで出すもんじゃないのか。
「公鳥…なんかお前のこと聞けば聞くほど分かんないことが増えるんだけど…無神経なこと言わない為にもさ、ちょっと教えてくんない?」
「…お前、何でそんなに気にすんの?」
公鳥の言いたいこともわかる。
ついこの間会ったばかりで、公鳥からしたらお節介でしかないだろうし、踏み込まれたくないだろう。
「…だって昨夜見たんだよ、公鳥の死にそーうな顔。」
「あ?」
「なんて言うんかな、満月の夜の不思議現象?」
「…お前いたのかよ。」
「ん?てことは公鳥知ってるって事?」
「…満月の夜になると出てくるよく分かんねえ空間で…よく知らねえけど金魚ばっかりで嫌なもんばっか見るあれだろ。」
茅原の事を伏せておくにしても、大体はそういうことだと思う。
公鳥は昨夜あの空間のどこかで金魚に散々なものを見せられていたという事か。
「俺はそこで公鳥を見たわけだよ。不鮮明でよく分かんなかったけど、『痛い』とか言ってたかな。…教えて貰えないなら勝手に妄想でカバーしちゃうよ?」
朔太郎はニヤリと笑った。
妄想でカバー、つまり朔の自己判断で補完されてしまう訳で。
…それは嫌だな、と公鳥は率直に思った。
「…まあ、あくまで面倒な事を言わないためだからね。」
あからさまな“強要はしませんよ”アピールをすると、公鳥はじっと右手を見つめて、左手で握りしめている。
金魚を掴んだときもバスケするときもテストの時も、さっき冷蔵庫を開けたときにも一度も使っているところを見たことのない右手を、だ。
「…俺の、」
全く気にしていなかった訳ではない。
ただ、現実味がなかったし、まさかと思い、結論に至らなかった。
「…俺の右手、全然動かないって気付いてた?」
公鳥は左利きじゃなくて、
右手が使えない、だけだった。