君と、○○のない物語
まるで其処に出入り口があるかのように、金魚が入ってゆく度に波紋を作る。

最後の一匹まで消えてしまうと、何事もなかったように波紋は鎮まった。

最後にまた、ぴちゃん、と、水滴が落ちるような音を残して。



目や頭でもおかしくなったのかと、朔太郎は目をしばたかせて頭を振る。

今更何も起きやしないのだが、あんな光景は当たり前に存在するものではないし信じられない。

そりゃあ挙動不審にならざるを得ないだろう。


しかしタイミングがいいのやら悪いのやら、いつの間にやら彼の後ろで立ち、馬鹿馬鹿しい彼の挙動を見ていた人間がいたのだ。

朔太郎がぐるぐると辺りを見回していたら、Tシャツ姿の少年と目があってしまった。

こんな不審な行動をとっていたが為に、かなり奇異なものを見る目で見られている。

「…こんちは…。」

挨拶する状況ではない気もしたが、他に言う言葉が見つからなかった。

彼と同じくらいの年格好の少年はそれに応えるように頷き、しかし相変わらず首を傾げている。

この少年は、金魚に驚いたというより彼の挙動を不思議に思っている、といった様子に見えた。

やはり自分の目がおかしかったのか、この眼鏡も替え時か。

そう思ったら余計に恥ずかしくなってきて、一刻も早くこの場から立ち去りたくなる。

「じゃ…さよならっ!」

「おい、ちょ…っ」

朔太郎は勢い任せに走り出して、少年の言葉を聞かずに立ち去った。

背丈からして同い年くらいに見えたから、もしかしたら同じ学校の生徒かも知れない。

だとしたら最悪だ。

明日転校生として登校してあの少年に会って、『不審な行動をしていた人だ』などという事を言いふらされたら―…。

彼は既に明日から始まる学校生活が不安一色になってきた。




取り残された少年の足元で、一匹の茶色い猫がにゃあと鳴く。

「…なんだろうな、あいつ。」

少年は首をもう一度傾げて、猫に向かって呟いた。


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