君と、○○のない物語


朔太郎は端から見たら怪しいくらい全力で走って帰宅した。

緑の垣根に囲まれた、時代を感じる木造の家が、彼が越してきた家である。

この辺りの家は大体そんな風貌だが、この家は特に古いと思う。

「―…おや、朔お帰り。」

家の庭にはいると、シソの葉を浸けていた祖母が出迎えてくれた。

両親が事故で亡くなり、つい最近まで世話になっていた人とも暮らせなくなった朔太郎を快く引き取ってくれた人で、生まれてからずっとこの町に住み畑やら田んぼやらで働いているそうだ。

つまりはこの町の事にとっても詳しい。

「…ばーちゃん、この町の金魚は水入らずなのか?」

「………………ええ?」

「いや、なんでもない…。」

…詳しいからと言って、変なものまでは見えない訳だが。

「朔はおかしな事言うんねえ。」

ちなみに、一応説明すると、朔とは朔太郎の事だ。

大月朔太郎と言う名が長いので昔から大抵の人に朔と呼ばれている。


割り当てられた自室に入り、畳に座り込むと何だかどっと疲れを感じた。

たった20分くらい歩いただけなのに…まあ変なものは見てしまったけれど…。

あの金魚は一体何だったのだろうか。

朔太郎には別に霊感とか、そんな非現実的なものはないし、今まで起こったためしもなかった。

それがこの町に来たら急に、だ。

(…訳わかんね)

一気に伸びをして、そのまま勢いで畳に寝転がる。古い色の木の天井が視界に入った。


―…あの魚は、また現れたりするのだろうか

もしもまた現れたら、
もしも自分にしか見えないものだったら
もしも触れる事が出来たら

もしも、もしも、もしも、




自然と、朔太郎の中であの魚達はどんどん存在を大きくし、朔太郎を引き込んでいっていた。


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