君と、○○のない物語
何故だろう。春海の家だったから、というよりも、また記憶と思い出が噛み合わない、知っている筈はないのに知っているような、そんな気持ちになるのだ。
「この家は誰もいない事の方が多い。人に見られないうちに、早く来い。」
猫は勝手に庭の奥に入り込んで行く。
不法侵入じゃないか、と思ったが猫は辛辣に朔太郎を見て、無言で促してきた。
相手は猫だと言うのに、この威圧感はなんなんだ。
「…お前、もしかして春海と知り合いだったとか?」
「それもそうだな。」
家の門からちょうど裏側に着くと、猫は軒下を示した。
朔太郎が屈んで覗きこんでみると菓子の缶のような箱が、透明なビニール袋に包まれた状態で置かれている。
引っ張り出して開けてみると、一冊の大学ノートと、数冊のスケッチブックが入っていた。
「それは春海の物だ。」
「!なんでこんな所に…」
「春海が家出する前に此処に隠したんだ。理由は知らないがな。」
大学ノートを捲ってみると、まず目に飛び込んだのは緻密な金魚の絵だった。
それは水中ではなく空の中を自在に泳いでおり、紛れもなく朔が見た金魚と同じものである。
「春海は家出の少し前に茅原淳から空の金魚の物語を聞き、そのノートに絵本のように書き起こしたんだ。」
次のページを捲ってみると今度は泣いている女の子の絵があった。
俯いている様子なので分かりづらいが、どことなく茅原に似ているように感じる。
絵本のように、と言っても絵だけで文字はなかった。
絵の様子だけで物語の内容を掴まなければならない。
次は女の子の回りを金魚が泳ぐ絵、次は女の子から漫画みたいな思考吹き出しが出ていて、それを金魚が啄んでいるのか次のページである。
まさに茅原が言っていた金魚の話そのものらしい。
「…これが、どう関係して…」
「まだ続きがあるだろう」
言われてページを捲って見ると、場面が変わって女の子はいなくなっていた。
金魚は泳いでゆき、やがて別の男の子の元へ辿り着く。
男の子が金魚に触れると、金魚は消えて男の子は泣き出し―…
それ以上は書いていなかった。