君と、○○のない物語
新しく始まった学校生活に特には不備も不満もなく、かといって大した刺激もなく、朔太郎は普遍的な日常を消化していた。
それなりに会話の出来るクラスメートもいるし、まあ悪くはない淡々とした日々である。
引っ越しから一週間ほど経ったが、あれ以来、空中はおろか水中を泳ぐ金魚すら見ていない。
一時は少し困惑したが、考えれば考えるほど夢だったように思えてきていた。
金魚が空を飛ぶなんて、ぎょぴちゃんじゃあるまいし、と彼自身でケリをつけて自分を鼻で笑っておく。
そうして、もう忘れようとしていた、ある日。
「…なんでだ…」
今度は学校の帰り道の通学路の途中で、また金魚達を見付けてしまったのだ。
この間と違って朔太郎以外の通行人も、畑で作業してる人もいるというのに、金魚の群れに気付いているのはやはり朔太郎だけだった。
それともまさか、これが日常の光景だから気にしていないだけだろうか。
…いや、ありえないありえない。
「…おまえ、」
聞き覚えのある声が、突然後ろからかかった。
後ろに、というシチュエーションも覚えがあって、朔太郎はすぐに振り返る。
立っていたのは、一週間前に金魚を見たときに現れたあの少年だった。
今日は朔太郎と同じく中学の制服を着ていて、やはり同じ学校の生徒なんだということが分かった。
「―…やっぱ見えてんだろ」
「え」
少年はずんずんと歩み寄ってきた。
何だと思っていると、丁度傍を漂っていた一匹の金魚を左手で鷲掴み、朔太郎の目の前に突き出す。
「この金魚、見えるんだろ!?」
柔く掴まれた金魚は逃げ出そうと身を捩って暴れている。
少年としてももう用は無いらしく、すぐに手放してやっていた。
というか、水中だろうが空中だろうが金魚を手掴みなんぞそう易々と出来ることではないのではなかろうか。
「み、見える…よ。」
「何で?」
「何でって…。」
見えるんだから仕方ない、としか言いようがない。